もうすぐ1年経ちます。


うちの祖母が 倒れてから。


祖母。現在88。  去年1月29日に倒れました。

もともと、血圧がものすごく高かった。180とか200とか。
だけど病院嫌いの祖母はだいじょぶだいじょぶ、と
毎日元気に みんなのご飯作って過ごしてて、
まわりが無理やり病院連れてって 薬を飲ませるようになって

ある日飲むのを ひとりで やめてしまってた。
その次の日に 弟と話してて 急にろれつが回らなくなりそのまま倒れた。


脳出血で倒れました。
ICUで目を開けない祖母を見て覚悟したあの日。

やっと意識が戻りやっとICUから出れたものの 半身不随。



毎日 昨日まで
当たり前のように自由に動いてた左半身が 何も感じず 動かせない。
動く右手で動かない左足や左手を動かし 右手をはずすと だらんと力なく垂れ落ちる。
言葉もうまく話せなくて どうにか動く右手で 文字を書いて 筆談したりする日々。
書いてる内容も意味がわからなくて 話してる言葉もわからなくて、伝わらなくて  
とにかく あふれそうになるたくさんの涙を何度も何度もこらえて 
今までよりももっと長く近く 祖母とたくさんの時間を過ごしてきました。 



私はまだ 今まで一緒に住んできた家族が 誰も この世から いなくなっていない。
父方の祖母や祖父、この母方の祖母の母親 私からすれば曾祖母 も私が大きくなってから 他界したけど もちろん 悲しい気持ちにもなったけど

一緒に住んでた家族がいなくなることは まだ私の中で理解がない。

そうなったら・・・ って 想像しただけで 
実家に帰るたびに 家にいるはずの祖母がいない と思うだけで  

ほんとによく泣いた。 




同い年の祖父は 毎日車で病院まで行き、ご飯を食べさせ、足をマッサージしたり、動かしたり。
自分自身あちこちイタイイタイと言いながらも 毎日毎日通ってた。
家に帰って 疲れた祖父をマッサージしながらも 二人で泣いて話す日が来るなんて、思っても見なかった。


私も
しばらくは月に2度程度山口に帰ると決め、
一緒にいる時間は 話したり、マッサージしたり、ストレッチを教えたり、祖母に出来る運動を教えたりして、 
だんだん、ひとりで泣くことよりも 一緒に笑うことのほうが増えてきた。

帰るたびに 祖母の体の状態はよくなってきて、

動かない左手でわずかに握り返すことができるようになり
動かない足の指がわずかに動くようになり


腕があがるようになり、
膝が曲げられるようになり

ベッドの上でお尻が上げられるようになり


背もたれがなくても座っていられるようになり、
ベッドの外に足を出して座れるようになり、

左手で茶碗を持つことができるようになり

立つことができるようになり
車椅子に乗れるようになり
車椅子に乗せる練習をするようになり

車椅子で 病院内を散歩できるようになり
車椅子で 病院に咲く 桜を見に行けるようになり

ポータブルトイレを使えるようになり

歩く練習を始めることができるようになり
歩行器で歩けるようになり

数時間だけ 外出できるようになり
外泊できるようになり


退院することについて考えるようになり

家には危ないから連れて帰れなくて、つらいけど施設に預けるということを告げ

平日は施設 週末は家で過ごすという生活が始まり

毎日パジャマじゃなく 服を着て生活するようになり

一人で 車椅子に乗って トイレに行って 自分で用を済ませ 戻ってこれるようになり


こないだの正月に聞いたら 杖をついて歩く練習をしている という。


言葉も 最初は声が出せなかった。
音が出てるけど 「あ」でもなく「い」でもない。

だからどうにか使える右手で筆談することも多く。

だんだんと大きな声が出せるようになってきた。
だんだん 言葉になってきた。

言葉としてはっきり聴けるようになっても、話してる内容がよくわからなかったりしてた。

住所の番地も 電話番号も どうしても 今言ったばかりでも 覚えられなかった。

もしかしたら、私のことがわからなくなるかもしれない  と     また泣いた。


一緒に本を読んだり、読めない漢字や 四字熟語の本で遊んだり、足し算や九九をしたり・・。
四字熟語や漢字は 祖父も一緒になって遊べた。

何が興味あるのか、できるのか あれやこれやと 持ってかえって。



そんな祖母との会話も 今は前の祖母と何も変わらない。

そんなん、わかるわーー と 住所も誕生日も当たり前のように言える。
引き算は ちょっとむずかしいね、というけど、それはたぶん あたしも同じ程度かもね。



ちゃんと歩けるようにならんかねぇ

と 常に前向きな祖母が 素直にすごいと思う。



こんな1年の祖母の経過。
ほんとにいろんなことがあったけど こんなに強い人で よかった。



元気なとき、 いつ死んでもいい  って よく言うてた。

・・・毎日、大切に過ごしてくれて よかった。


 


 
祖母と同い年の祖父も 
祖母のために 家で練習するための歩く道を作ったり、
それに屋根をかけたり、手すりを作ったり、
段差をなくしたり、
かなり危なっかしいものもありますが 手作りで家の中を改造してます。

病院で いろいろとやってあげすぎたり、自分の思うようにしようとするかなり頑固な祖父に対して引かない私は ほんと よく喧嘩しました。

たくさんのいろんなことがありました。
たくさんのいろんなことを教わりました。


こんな 祖母と祖父を支えた うちの母と父の結婚記念日が 祖母が倒れた日と同じ1月29日。


ほんとにいつもご苦労さま。ありがとう。
いつまでも 元気でいてください。



88歳の 脳出血で倒れた祖母が ここまで回復できました。



だから これを読んでくれた方や あなたの周りの方も
もちろん私自身も 
何かにトライすること チャレンジすること 諦めかけた何かにもう一度向かうこと  
年齢関係なく いつまでも できると思ってます。


同じように過ぎてくこの時間をどう過ごすか、それぞれ自分次第。
だけど私たちはみんな一人じゃない★

今日もいい日でした と振り返られる毎日をおくりたいものです。

もうすぐ2月に入ります。。



正月帰ってきて 何人かの方にも心配していただき、
これを書きたいとずっと思ってました。
少しずつ書いてたら 長くなってしまいました。
いつも 長文なこのブログに 読みにきていただいてどうもありがとうございます。


では また あした。。

かな ^_^?