ときどき

自分が 
なにがしたいのかわからなくなる


何が正しいのか
わからなくなる





今私は
ピラティスの勉強をしながら
ヨガを教え
ときどきピラティスの要素も入れながら 

みんなと体を動かしてるのが楽しい。





でも

大きな流れに身を任せるように
委ねるように
呼吸に合わせて
今までやってきたように 体を動かしてみると


それは
やっぱり気持ちよくて
 みんなもたぶんそれは気持ちよくて

こーゆーのを教える先生でもありたいなーと

思ったりもする



今日
朝のクラスで 両手を上げた。


立って、
息を吸いながら手を挙げてみた

そして今度は
息を吐きながら手を挙げてみた



みんなと一緒に体感してみた

息が違うだけでこんなに違うのか
とわかる人もいれば

何が違うのか わからない人もいた


わからないからだめだといってるのではなくて
わかる人とわからない人がいるということ



骨盤はニュートラルに安定させたままで 
息を吐きながら 両腕を外から広げるように頭上まであげ
息を吸いながら 両手を降ろした


息を吐きながら 腕を上げようとすると 窮屈で むずかしい。


でも息を吐くおかげで 胸郭が開きすぎるのを意識しやすく、
思うほど手はあげられないけど
丁寧にあげられる。




息を吸いながら 手を挙げると





きもちいいし 
息を吸うと 胸は広がり
腕も 吐きながらあげるよりも 楽に手はあがる。







でも 胸が開き過ぎて 脊柱が伸展、
あるいは 肩甲骨のアライメントが崩れ、S字のカーブは崩れてくる



気持ちよく手を挙げたいのか
体が安定してできるほどで あげれるところまであげるのがいいのか



今はもちろん
体幹を安定させてできるほどの動きを丁寧にする

ということが 私にとって 今だいじにしていること。



ピラティスをするようになって
みんなの体の使い方のくせにももっと目がいくようになった


自分のクセに気づかないまま
流れるように 自然に体を動かすと
それは 自分のくせを使って自然に体を動かしてしまう

強い方を強く、弱い方を弱く使う
ねじれてることに気がつかず、左右安定していないことにも気づかず、


ただ 平らなマットの上だけで 体を動かすことは 
とてもとてもむずかしいことだ と
今は思う



いろんな 世界で
これは正しいと思う  という意見もあれば
それはほんとに正しいのか という意見もあれば

どちらの意見も納得! となり 何が正しいのか やっぱりわからなくなることが

たくさんある


これとか。

これに対して

こんな意見





豊かに暮らしたい


この
豊か の意味が
人それぞれ 
同じ地域に住む人の中でも
同じ勉強をしている人の中でも それぞれ 違うから




私一人の人間の中でも
正しいと思ってたことの反対は けして間違いでもなかったりすると


自分の意見や思いを人に伝えるのを 躊躇してしまう






みんなそれぞれが  がんばって生きてることが わかってるから

そんなにがんばらなくていいよ って言いたいし

一緒にがんばろう! とも言いたくなる

どっちの気持ちも同時に存在してる


だから  ときどき  わけがわかんなくなる


ただ
願うのは

いつまでも
その笑顔のままでいてほしいということ。




久しぶりにだらだらと、わけわからん 日記でした。




今日は 久しぶりに ヨガの後にマッサージを受けてくれた方がいて

「やっぱり この手を やめてしまうのはもったいないーーーー」 


と  ほめてもらいました。

ま、やめてるわけじゃないんだけどね。。




マッサージのほうも いつでもお待ちしてます








今月・来月のヨガの予定