昨夜から ものすごい雨が降ってます。
これで 今年の桜も 終わりですね。
桜を 完全に完結させるかのような雨です。
朝から ご飯を作ったり 昨日いくつか教えた運動や呼吸法を紙に 簡単なイラストと説明を加えたものを作ったり(最近帰るたびに描いてるなー^^; 絵がうまくなってきました)
ずっと家の中にいますが 意外とあっという間に時間はすぎます。。
うちの母親が 毎日朝5時に起き、洗濯し、朝ご飯を作り 8時くらいに会社に出て、昼ごはんの時期に少し早めに昼ご飯の用意をして また昼から仕事、・・・・
という 私からすると とほうもなく大変な毎日を送ってるので
(気休めにしかなりませんけど)1回でも家の用事が減るといいかなぁ、
という つもりで
帰るときには できるだけ野菜中心のおかずを作るようにしてます。
(だらだらと ただひたすら寝てる時も多いですけど)
つーーーて、結局 いろいろしてもらってるのはこっちだけどね~^^;
昼からひたすら作ってました。
ちょっとキューケー。
なかなか主婦の仕事も大変ね^^;
去年倒れました うちの88の祖母ですけど、
まだ 歩行器で頑張って歩いてるくらいなんですけど、
早く自転車乗って買い物行けるようにならんかねぇーーー
と、 あいからわず 元気な様子で、
かわりに 祖父が腰が痛い痛い と
朝から病院行ったり 別の病院行ったり いろいろいそがしそうです。
大阪に住んでて やっぱり一緒に住んでるほどに 気にかけてあげることはできないけれど
遠くにいるからこそ見える大事なものも あるのかな。
いつまでも 元気でいてほしいです。
おばあちゃんのこと
そう。
私自身は一人しかいなくて
だけど あれもしなきゃいけないし これも しなきゃいけないって思ったとき、
なんか、追い込まれて 逃げ場なくなってた感じに なってた。
あれもしたいし これもしたいし
というよりも ・・・しなきゃ って 追い込んでたね。
山口に帰らなきゃ とか
世話しなきゃ とか
家族にまた病人が出たら とか
結婚もしなきゃ とか
山口でどう生きたら とか
今の環境はあきらめなきゃ とか
ヨガや
音楽や
人の出会いや
築いたものや
なにかをあきらめなきゃ と
自分を苦しめるものは自分自身だったりする。
そんなとき 母が 言った。
それぞれができることをしたらいいって。
できるだけ
できる分だけ やる。
今日、友達にメールもらって あの頃の自分を思い出したよ。
祖母が倒れたことが私を追い込んだんじゃなくて
こんな思いが、
つまり自分が自分を追い込んでました。
自分自身を大切にしながら
その中でできることをすればいい。
すべての人が喜ぶ
すべての人にとって100%の答えは きっとない。
から、それぞれができる分だけ。
あのときに
母の言葉を聞いたとき
すごく楽になれました。
無理せずに
それぞれが できることを 補いあって できる分だけ する。
無理しないって 難しい。
気づきにくいからね。
一生懸命 何かに向かってると 自分のことに気づきにくい。
できるほどに と 自分のことも確認しながら 進んでいければ それでいいと思う。
前へ前へ と ばかりが大事でもなく
少しとどまって 一息ついてみるのも 大事かもです。
あきらめないで と昨日 書いたけど
だけど無理もしないでね。
みんないろんなことで
悩んだり考えたり泣いたり笑ったり。
それを投げ出さないで無理しないで
ちょうどいいとこ探していけばいいと思う。
できるぶんだけやれるぶんだけ。 そんなんでいーねん。
すぐに答えがでなくても
今やれることをやってみることで
少しずつなんか見えてくるんちゃうかなー とそう思いました。
おわり。
もうすぐ1年経ちます。
うちの祖母が 倒れてから。
祖母。現在88。 去年1月29日に倒れました。
もともと、血圧がものすごく高かった。180とか200とか。
だけど病院嫌いの祖母はだいじょぶだいじょぶ、と
毎日元気に みんなのご飯作って過ごしてて、
まわりが無理やり病院連れてって 薬を飲ませるようになって
ある日飲むのを ひとりで やめてしまってた。
その次の日に 弟と話してて 急にろれつが回らなくなりそのまま倒れた。
脳出血で倒れました。
ICUで目を開けない祖母を見て覚悟したあの日。
やっと意識が戻りやっとICUから出れたものの 半身不随。
毎日 昨日まで
当たり前のように自由に動いてた左半身が 何も感じず 動かせない。
動く右手で動かない左足や左手を動かし 右手をはずすと だらんと力なく垂れ落ちる。
言葉もうまく話せなくて どうにか動く右手で 文字を書いて 筆談したりする日々。
書いてる内容も意味がわからなくて 話してる言葉もわからなくて、伝わらなくて
とにかく あふれそうになるたくさんの涙を何度も何度もこらえて
今までよりももっと長く近く 祖母とたくさんの時間を過ごしてきました。
私はまだ 今まで一緒に住んできた家族が 誰も この世から いなくなっていない。
父方の祖母や祖父、この母方の祖母の母親 私からすれば曾祖母 も私が大きくなってから 他界したけど もちろん 悲しい気持ちにもなったけど
一緒に住んでた家族がいなくなることは まだ私の中で理解がない。
そうなったら・・・ って 想像しただけで
実家に帰るたびに 家にいるはずの祖母がいない と思うだけで
ほんとによく泣いた。
同い年の祖父は 毎日車で病院まで行き、ご飯を食べさせ、足をマッサージしたり、動かしたり。
自分自身あちこちイタイイタイと言いながらも 毎日毎日通ってた。
家に帰って 疲れた祖父をマッサージしながらも 二人で泣いて話す日が来るなんて、思っても見なかった。
私も
しばらくは月に2度程度山口に帰ると決め、
一緒にいる時間は 話したり、マッサージしたり、ストレッチを教えたり、祖母に出来る運動を教えたりして、
だんだん、ひとりで泣くことよりも 一緒に笑うことのほうが増えてきた。
帰るたびに 祖母の体の状態はよくなってきて、
動かない左手でわずかに握り返すことができるようになり
動かない足の指がわずかに動くようになり
腕があがるようになり、
膝が曲げられるようになり
ベッドの上でお尻が上げられるようになり
背もたれがなくても座っていられるようになり、
ベッドの外に足を出して座れるようになり、
左手で茶碗を持つことができるようになり
立つことができるようになり
車椅子に乗れるようになり
車椅子に乗せる練習をするようになり
車椅子で 病院内を散歩できるようになり
車椅子で 病院に咲く 桜を見に行けるようになり
ポータブルトイレを使えるようになり
歩く練習を始めることができるようになり
歩行器で歩けるようになり
数時間だけ 外出できるようになり
外泊できるようになり
退院することについて考えるようになり
家には危ないから連れて帰れなくて、つらいけど施設に預けるということを告げ
平日は施設 週末は家で過ごすという生活が始まり
毎日パジャマじゃなく 服を着て生活するようになり
一人で 車椅子に乗って トイレに行って 自分で用を済ませ 戻ってこれるようになり
こないだの正月に聞いたら 杖をついて歩く練習をしている という。
言葉も 最初は声が出せなかった。
音が出てるけど 「あ」でもなく「い」でもない。
だからどうにか使える右手で筆談することも多く。
だんだんと大きな声が出せるようになってきた。
だんだん 言葉になってきた。
言葉としてはっきり聴けるようになっても、話してる内容がよくわからなかったりしてた。
住所の番地も 電話番号も どうしても 今言ったばかりでも 覚えられなかった。
もしかしたら、私のことがわからなくなるかもしれない と また泣いた。
一緒に本を読んだり、読めない漢字や 四字熟語の本で遊んだり、足し算や九九をしたり・・。
四字熟語や漢字は 祖父も一緒になって遊べた。
何が興味あるのか、できるのか あれやこれやと 持ってかえって。
そんな祖母との会話も 今は前の祖母と何も変わらない。
そんなん、わかるわーー と 住所も誕生日も当たり前のように言える。
引き算は ちょっとむずかしいね、というけど、それはたぶん あたしも同じ程度かもね。
ちゃんと歩けるようにならんかねぇ
と 常に前向きな祖母が 素直にすごいと思う。
こんな1年の祖母の経過。
ほんとにいろんなことがあったけど こんなに強い人で よかった。
元気なとき、 いつ死んでもいい って よく言うてた。
・・・毎日、大切に過ごしてくれて よかった。
祖母と同い年の祖父も
祖母のために 家で練習するための歩く道を作ったり、
それに屋根をかけたり、手すりを作ったり、
段差をなくしたり、
かなり危なっかしいものもありますが 手作りで家の中を改造してます。
病院で いろいろとやってあげすぎたり、自分の思うようにしようとするかなり頑固な祖父に対して引かない私は ほんと よく喧嘩しました。
たくさんのいろんなことがありました。
たくさんのいろんなことを教わりました。
こんな 祖母と祖父を支えた うちの母と父の結婚記念日が 祖母が倒れた日と同じ1月29日。
ほんとにいつもご苦労さま。ありがとう。
いつまでも 元気でいてください。
88歳の 脳出血で倒れた祖母が ここまで回復できました。
だから これを読んでくれた方や あなたの周りの方も
もちろん私自身も
何かにトライすること チャレンジすること 諦めかけた何かにもう一度向かうこと
年齢関係なく いつまでも できると思ってます。
同じように過ぎてくこの時間をどう過ごすか、それぞれ自分次第。
だけど私たちはみんな一人じゃない★
今日もいい日でした と振り返られる毎日をおくりたいものです。
もうすぐ2月に入ります。。
正月帰ってきて 何人かの方にも心配していただき、
これを書きたいとずっと思ってました。
少しずつ書いてたら 長くなってしまいました。
いつも 長文なこのブログに 読みにきていただいてどうもありがとうございます。
では また あした。。
かな ^_^?
あした帰ります。
山口。
あーーーー
やっと
今年 終わる。
祖母が今年の1月29日に倒れてから
11ヶ月。
何度も何度も 故郷へ戻り
何度も
自分のあり方 今の生き方
自分が今まで大事にしてきたもの
大切だと思ってきたもの
家族とのかかわり方
自分の居場所
疑問や 不安も多く抱き
正しい答えは出ないまま
走ってきた今年でした。
走ってきて
その分たくさんの
素敵な出会いが
私をまた 強く やさしく
守ってくれました。
今年は
ほんとにたくさんの
新しい出会いを私にくれました。
そんな
今年が
もうすぐ
終わる。
さっき
今年最後の仕事も
やっと終わって今いえに帰ってきました。
そっかーーーーーー
今年が
終わるのカー
と思うと
とても
偉大なことのように感じるの。
今年が終わる
ってことが
自分の思考になかったくらいに
今年が終わることが すばらしい
と
感じてます。
自分自身が抱えてることが
とても大きなことのように感じてたからか
ちゃんとそこから抜けて今 ここにいるのに、
あの苦しい つらい 悩み苦しんでた 時
あそこが 終わる気が どこかでしてなかった
でも
こうして ちゃんと
今年は終わる。
あーー
すごいなーーーー
今年が 終わるのか。。
今日も何度も そう口にしました。
一人で なんか変に感動してます。
なんだかとても
満足。
何もやり切れてないし
悩んでたことや 不安に思うことが
解消されたわけではないのだけど
ちゃんと
こうして 時は過ぎるんです。
あたりまえなんだけど、
今年も相変わらず
「年末って感じしないねーー」
と
多くの人と会話しましたけど
でも今年はいつもとちょっと違う感じなんだー。
わけわかんない^_^;??
私もどーゆったらいいか よくわかんないんだけどね。
でもね、自分でも よくやったなーー て ちょっと思うの。
ごめんね、すぐ自分のことほめるから。
でも、
うん。
なんか、満足。
今日の月は こんな月。
ふと
見上げると
いつも すごくきれいな月に出会える。
・・・つきは いつ見てもきっときれいなんだけど
でも 昨日の月はきれいだったな と思って見る事って あまりない。
振り返ることなく
ただその瞬間
目の前にある その月が 今 きれいだ
って ただそれだけ。
いつも そのとき初めて出会ったきれいなもの見るような感覚で見てる。
当たり前にいてくれる 月が
今日もきれいに見れました。
2010年元旦の朝、部分月食が見られるそうです。
元旦に 月食は日本で初めて。
4時23分最大1割くらいが欠ける。
だって。
でも それまでは 満月。
だから・・・明日の夜か。
月食は難しいけど
明日 満月の月は 見れるかな。
天気が心配だけどね。
今日はね、
職場の最後のお掃除してて
脚立にのぼったら
こけました。
脚立の足を広げて
フックでとめるん 忘れてて
一番上のとこ上がった瞬間
ガガガ
と脚立が広がって落ちてしまって
持つとこあったからどうにか助かってんけど
若干
負傷しました。
今日もがんばりました。
こんな私ですが
今年一年
どうもみなさんありがとうございました。
また
来年も
よろしくお願いします。
明日はたぶん 日記かけないからね。
これで 最後。
かな。
明日は 朝一の新幹線でカエローと思ってるから
もうこのまま寝ずに 部屋の片づけしたり
ウクレレ弾いたり 歌の練習したり
ネットで遊んだり
そんな大阪最後の夜を過ごしてみることにします。
では。。みなさん よいお年をお迎えください。
また来年 会いましょう♪
うちの祖母が ひとりで、…歩行器を使って ですが、ひとりで歩けるようになっていました。
帰ってすぐに家の廊下を歩行器で歩く姿を見せてくれたとき、大きな声上げて喜びました。
2ヶ月ぶりに帰って久しぶりに見た祖母は 確実に前よりも強くやさしく見えました。
88歳になった祖母。
半年前までは ふつうの生活 つまり、
寝て、おきて、ご飯作って テレビ見て、居眠りして 買い物行って ご飯考えて、ご飯作って
そんな彼女の当たり前だったことは
今ではすごく昔のようですが、
でもこの半年で またちゃんと前を向いて生きて行ってくれてることがとてもうれしい。
数年前に102で亡くなったひいばあちゃんは、最後大たい骨を折って入院してしまったとき
車椅子に乗れる状態だったにもかかわらず もういい、とリハビリを放棄してしまいました。
元気なときには いつ死んでもいい なんてよく口にしていた祖母が
こうやって生きようとしてくれていることが
そして 毎日 新しい自分を発見しながら 生活してくれていることがとてもうれしいです。
左半身不随と診断されてから、毎日動かない腕や足を動かそう、とする日々でした。
毎日毎日動かない手足を動かそうとすることは、きっと想像できないほどに辛く悲しいことだろうけど、
ほんと、よかった。
寝て足を上げて頭とくっつけることもできます。
膝立ててお尻あげることもできます(つまりセツバンダアサナ)。
そして立てるようにもなりました。何かにつかまり一歩踏み出せるようになりました。
それだけでもすごいことだったけど、
今は施設で毎日、80メートル歩いてるんです。
一人でベッドのそばにある車いすに乗り、トイレにも行けるようになりました。
週に一度家に帰ることが今の生活の土台となってます。
体を動かすことに関しても、生活するという意味でも
すごく土台がしっかりしてきていました。
安定してきたことでさらに自由に体を動かすことができるようになっていました。
もう動かない、とか、もう何もできないってことは死ぬまでわからないんです。
可能性がどんなに低くても0じゃない限り、
いやもしかしても0%やったとしても命あるかぎり、
諦めないで、こうしたい、こうなりたいという気持ちを持ち続けること、
そして土台を安定させるための小さな積み重ねは
私たちの想像を超える。
家族に病人が一人でると 多くの人は言います。
大変だって。
確かに ほんとに大変なことはたくさんありますが 大切なこともたくさん教えられました。
ひとつひとつの小さなことにも大きな喜びも見いだせてます。
彼女の踏み出す一歩がこんなに喜びをあたえてくれて幸せに思えることがうれしい。
すごいでしょ。うちのばあちゃん(^-^)
みぽ